指輪をはめる日々と流れに身を任せる生き方について

GWも終わり日常がはじまりましたね。

今週から長女(中1)のお弁当作りもなーい!やっと念願の給食スタート。
ほんとうれしい。

朝の20分くらいをお弁当に吸い取られていたので、肝心の朝食が準備できてないってことも多かった(がっくし・・)


なんか性格的に1つのことに集中するタイプで、それ以外のことにはパワーを向けられないようです。

このごろつくづく感じる自分の感覚。
自分の取扱説明書って、生きれば生きるほど分厚くなっていくものだな~と思います。

自分のことって、一番自分が見えないものですね。

知っているようで実は思い込みであったり、あたらしいスイッチを何10年もたってから見つけたり。

一生開かれないページもあるかもしれないし。

人生ってものはどれくらい自分の取説を発見して解読していくかのようなものかもしれない。

それは経験を積み、人との間から生まれるものだと思う。だから面白いよね~~!

ヨガで。

鷲のポーズという、足を絡め合って手を交差させるポーズのコツがやっとわかった。

足がなかなか絡みにくくて、「できる人は足首まで絡めてください」っていわれても絡まらん。

おぉ、これはひとえに足が太いせいだと思っていたけれど、足のどこに力を加えればいいかわかった。内ももをしめる感じなんですねー。いままでは足が交差して当たっている部分を締めていたけど、そうではなくて、絡まっていない内ももに力を加えて見たらうまく絡まってポーズが安定した。

こういう発見、ちょこちょこあって、うれしくなる。
ヨガ、深し。


指輪について。

結婚指輪を急にしてみようと思って、クローゼットから引っ張り出してきた。

ここ何年もつけていなかった指輪(どこにしまったか探すのに苦労)。第一子出産前までははめていたけど、育児中はもっぱらしめつけるものいやだったし、ドゥーラの仕事はじめたらそれこそ指輪はしなかったし。

その存在すらすっかり忘れていたのに、急に思い出してはめてみたくなり。

ヨガのインストラクターさんがはめているのを見て、「あー、ヨガしていてもはめられるもんなんだ」と思ってね。

またこの心境の変化。


あつこ、指輪をしたくなる。


みたいな。

なんなんでしょうかね。

最近なんだか自分のカドみたいなものが取れてきたのかもしれないですね。
アグレッシブあつこもひとつの側面なんだけど、このまろやかあつこっていうパターンもあるのか・・みたいな。
人生を一本背負いするような生き方が自分そのものだといままで思っていたしそう生きてきて、そんな自分が好きだったけれど、受け身ってのもなかなかいいぞと気が付いたというか。流れに逆らわず、身を任す生き方というか。
左がわたしの、右は夫の。
わたしのは婚約指輪と結婚指輪を重ね付けできるようになってます。

今、わたし充電期間なのだと思うのです。

仕事もとりあえずは保留にしていて、ゆっくりと日常を楽しもうって感じでりらーっくす。
すきなヨガやったり、家の中片づけたり、映画見たり、本読んだり。
仕事もこれからバージョンアップしたものにしたいとも思っていてその構想も練りたいなと。

末っ子も学童をやめたので、対外的にもしばられるものがなくなったとも言えます。

子どもが帰ってくる時間には家にいて、おかえりを言うような日々。


子どもって帰宅したその瞬間ってすごいエネルギー持っていて、「お母さん聞いて、お母さん聞いて」のエネルギーの塊。

とにかく今日あったことや思ったことを話したいって状態で。

その気持ちを受け止めるってすごーく大事だな、なんて思ったりして。

学童や保育園に行っていても同じだと思うのですが、子どもが話したいっていうボルテージが上がった時にちゃんと受け止められる親の心のスペースがとても大切なんだろうなと思います。



人間のように布団でしっかり寝る、ルーク様

しなやかにすこやかに

藤城敦子のページにようこそ 女性は年齢とともに進化していける 主婦だとしても、 お母さんだとしても、 自分の望みを叶えていく それがささいなことでも、大きなことでも、自分が願うことに忠実に生きる 自分に100%忠実に生きる名もなき一介の主婦の日記です 日常の当たり前のことにステージアップのタネが隠されています

0コメント

  • 1000 / 1000