真逆に見える人だって
ブログって不思議なもので、書いたときは「思ったこと書けたー!」と思うのですが
しばらくして読み返してみると「あぁこの下りはもうすこしこう表現したらよかったかな」とか
「ここはこういうことを補足しないと通じないかもね」と感じることがよくあるんです
(気持ち、直観で文章書いているので自分の中では成立していることも客観的にみるとよ~わからん文章になっている)
すぐ気がついた場合はちょこちょこ~と直したりしているのですが、
時間がたつと今更直してももう読んだ人はもう一回なんて読まないしねぇと思って訂正追加することにテンションが上がらない
ということで、一昨日・きのうと書いたものをあたらしい記事にて後追い補足をしてみたいと思いまーす
わたしの実体験の人生の流れについて
転職するとき、結婚するとき、投稿したように不思議な流れがあったのですが
これをわたしなりに振り返ってみると、わたしの人生はある方程式があるようです
『自分から動いたときに人生が回り出す』
これに尽きます
結局転職しようとしたときは「派遣会社に会社紹介してもらおー」
出会いを求めたときは「友達に合コン誘ってもらえばいいか」
という言ってみればすごーく安易で依存的な気持ちだったんです
誰かに依存するというような気持ちでいる時は流れが悪くなる
逆に「もう自分でやるかぁ」と肚をくくるとびっくりするほどいい流れになる
自分からコミットして主体的に動くと面白いほど人生が好転する
「人にやってもらったほうが楽だしね~」
なんて思っているときは全然うまくいかず、
自分でハンドルを持った時にすべての景色が変わる
これはわたしの方程式
思い返せばアメリカの高校へ交換留学するときもこの流れがあった
ネットもない、田舎の高校生だったあの時代(遠い目)でよく条件がそろった留学先を見つけたものだと思います(これも長くなるので聞きたい方は会ったときにぜひ♪)
きっとあなたのなかにも自分なりの方程式というものがあると思います
それってある意味自分の取扱説明書みたいなもの
さいしょはそんなものがあるとは知らずに、
「みんながそうしているから」
「ふつうはこうするから」
「こんなところに隠しボタンがあるのを見つけたれどみんなのにはそんなのついていないし、
押したらどうなるかわからないし壊れたら怖いから押さないでおこう」
なんて思ったりしていることあるはず
全力で止めにだれかが入ってくる場合もある(それは現世的な愛なのかもしれないが)
でも世の中の一般的なマニュアルが自分にすべて合っているとも限らないし、
だれかの判断・視野の中だけのしあわせの範疇としての助言かもしれないし、
その範囲でしか機会を動かさなかったらすごーく狭い範囲のことしかできない人生で終わるかもしれない
自分の特殊能力の発揮とは無縁の人生で終わる可能性が大きい
トリセツってわかりやすく書いていない場合もあるので、
何度も何度も失敗しながらやっと「あーーー!この文章の意味はこういうことだったんだ」
ってしばらくしてからわかることもある
人生を20年そこそこしか生きていないとそれほど機械(自分)を動かしていないので
使い方がよくわからないことが多い
ただ30年40年と生きてくるといくつかのパターンが出てくることがわかる
そのときがチャンス!
トリセツを解読することに成功する時期だったりします(逆に保守的に守りにも入りやすいので注意)
これも50年60年70年80年と生きてきた人だともっと良くわかると思う
ただそのとき気がついてももうその隠しボタンを押すことができなくなっていたり(体力気力の問題とか)残り時間が少なくてボタンを押すわけにいかなくなっていることもあるかと思う(ボタンがさびちゃって押せないとか
でも死んじゃう時になんて思うかっていうと「残りすくない人生だったあのときでもやっぱり勇気をもってボタン押しておいたらよかった。さびていたけど壊れる覚悟でハンマーで叩けばよかった」と思うんでしょうね
人はやったことよりやらなかったことを死ぬとき強烈に後悔するらしいから)
だから、今更やってもなにも自分の人生は変わらないかもしれない、
勇気をもってやってみても世の中は1ミリも変化しないかもしれない
と思うかもしれないけれど、
自分の人生を1㎝でも前に進めることができたならば、
道半ばで死んでしまうことがあってもやらなかった自分よりは誇りを持って死んで行けるような気がする
続きは来世でやろ~と!ってワクワクしながら死んで行けそう
***
おしんの話についての補足
おしんのばんちゃん(おばあちゃん)かあちゃんは貧しい田舎の小作へ嫁いで一生の間に豊かさというものをほとんど味わうことなく死んでいく、ということにおしんは悲しい思いとともに怒りを覚えていた
それは厳しい身分制度や小作というシステムに対してだったのかもしれないけれど、
そんな状況を嫌だと思いながらもあきらめて甘んじていたばんちゃんと母ちゃんへの怒りだったとも思う
もし、とてもつらい状況にいてどうにもこうにもならないということがあったとき
そこからなんとか這い上がるガッツ、自分を浮き上がらせる気負い、アンビリバボーなアイデアを思いめぐらせる発想、というものをなぜばんちゃんや母ちゃんは持たなかったのかって思ったんじゃないかと思う
でも反対に言うとばんちゃん母ちゃんの布石があったからおしんは這い上がっていったんだと思う
その意味ではおしんへ身をもって人生をかけて彼女たちは示していたのかもしれない
そしてそれはふか~~い愛情ともいえる
本人たちは無意識だったとしても
そういう役割を今世ではおしんのためにするよと言った勇気ある魂かもしれないし、
甘んじてしまった魂かもしれない
それはわからないけれど
壽賀子センセ、そのあたりどうですか?
そう、この世って役割があるんですよね
ソウルメイトとして近しい関係になる、相手の人生に影響を与える人ってソウルメイトです
それは昨日の記事にあげたようにおしんをやさしく愛を持って導くための役割をするソウルメイト(俊作あんちゃん、加賀屋の大奥様、髪結いの師匠、漁商のおばさん)もいるし、
つらくあたって嫌われるようなことをするソウルメイトもいる
一番最初の奉公先のいじわるな先輩つね、
嫁ぎ先のお姑さん
最初の奉公先で相当つらい目に合うおしんだけれど、
視野を広げてみると最初から試練をあたえてもらったことで
その後の加賀屋での奉公が天国とも思えるほど仕事が苦にならなくなっているおしんとなれた
そういうおしんの仕事への前向きな態度を見て加賀屋の人もおしんにより多くの事を与えてあげようと思ったに違いない
あまりにひどくて逃げ出したおしんだけれどそのおかげで山中で俊作あんちゃんに出会い、
そこでひと冬過ごしたことで読み書きや掛け算を教えてもらい学校へ行っていなくても勉強ができるおしんになったわけだ
つねさんナイスジョブ
お姑さんの下りはまだ朝のBS放送でははじまっていないのでむかーしYouTubeで見た記憶しかないのだが相当にひどい対応を受けていた記憶がある(でも昔の家ではそういうものが当たり前だったのだろうけど)でもそのおかげでおしんは漁商をするようになり、将来それがスーパーマーケットを経営することにつながっていく
夫がだめ夫だったってことも一面では不幸に見えるけど、だめんずだったことでおしんが奮起できたということでもある
ということでやさしさを持って導いてくれるソウルメイトもいれば、
いや~な役目で痛めつけてくれるソウルメイトもいるわけです
そういう抵抗勢力となってくれることで自分がより高く飛ぼうと思う原動力にもなる
その2つに共通して根底に流れているのは愛
愛があるからやさしさもきびしさも存在している
だから自分の人生の中で「ひどいな~ひどいな~」と思うようなできごとがあったり、
そういう人が身近にいたとしても、そういう嫌われ役をもしかしたら買って出てくれているソウルメイトかもしれないと思って見てみると視野がかわったりする(中にはほんとにただひどいだけの人もいると思うけれど)
そういうコントラストがあるからこそ、
真の愛に気がつくことができるし、
当たり前に衣食住が整って暮らせて人生にチャレンジできるということを改めて感謝できたりするものだ
そう今の時代ほんとに平和で安心な世界にいられている、ということをやっぱり一瞬一瞬感謝していきたいと思うのです
天は自ら助くる者を助く
天界は動いている人が好きだし、そこにはエネルギーを注ぎやすいのだと思います
直観的にひらめいたことがあってある決断をして先日目黒駅に降り立ちました
ひとつハンドルをまた自分自身で動かし始めた一歩
状況が定まったらまたブログにてお伝えします(なんか出し惜しみしているようですいません)
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