だから仲良しなのか!「長続きカップル」が無意識にやっている日常習慣とは・・より
しばらくぶりです
非常事態宣言の自粛期間中、
毎日なんとなく日々のことを書いて投稿していましたが、
「あっ非常事態宣言ってもう解かれたんだ」
と言うことをある日気がついて、
毎日ブログを書く必要も自分の中でなくなったと感じて、
ブログから離れたらすっかり1週間以上たってました
子どもたちは段階的に学校がはじまり、
来週からはまあまあ普通の状態に戻ります
(給食ばんざい)
夫はまだまだテレワーク中心で、
週に1~2日だけ出社するとのこと(わたしのお昼作りは続く・・わけね)
街にも人の姿が戻ってきて、マスク姿以外はだんだん普通になって来ていますね
どうなるんでしょうねこれから
わたしはというと「前のように戻りたい!」というつもりもなく、
新しい生き方を模索中
この自粛期間で感じたことや経験したことを元に、
今、なにを思って、なにを想像していくかってものすごい大事なんだとまじめに面白く思ったりしています
みなさんどうしてますかね!
お元気でしょうか♪
先日郵便局で順番待ちをしていました(切手とか郵便の窓口)
前のおばさん(おばあちゃん)がなにやら局員さんと長いことやりとりしている様子
どうもおばあちゃんがレターパックを出そうとしてるんだけど、
初めてでやり方がよく分からない&宛名をうまく書けないから局員さんに書いてもらえないかってお願いしている様子(事情があって字がうまく書けないみたいでした)
困惑する局員さん(書き方は説明するけれど代理で書くことはできないと言っている)
おばあちゃん仕方なく記入台に移動
わたしの順番が来たので支払いを済ます
ふと振り返るとおばあちゃん困ったまま記入台の前で途方に暮れてる
「よかったらお手伝いしましょうか?」
と声をかけてみました
おばあちゃんは喜んで「すいません、いいですか」と笑顔に
あて先を書いて、
荷物を中に入れて封をしておばあちゃんに渡しました
こんなことはわたしにとってはお安い御用で、
時間もあったし全然苦でもないことでした(レターパックもよく出すので使い方よくわかってる)
それを喜んでもらえてこちらもうれしい気持ちでいっぱいです
その作業しているときおばあちゃんは身の上話というか、
その荷物が誰宛てでどういう理由で出すかなどを初対面のわたしに事細かに説明してくれて・・
それが想像以上に結構ヘビーな内容で、
でもおばあちゃんの相手へ思う気持ちというものがひしひしと伝わってきたことと、
その荷物の内容とそれがわたしの中で一致して余計にこみ上げるものがありました
この荷物が相手に届いたときにおばあちゃんの愛がちゃんと届いてほしいなと思って封をしたわたしです(プライバシーにかかわることだったのでここで書けないのですが)
そんな出来事があったことを夫に話したんです
わたしとしては、
「それはおばあちゃん困ってたよね。よかったね助けることができて。」
的な反応を待っていた(期待していた)わけですが、
夫は、
(思いっきり怪訝そうな顔で)
「え~それやばいよ、なんでそんなことしたの。かかわらないほうがいいよ。
詐欺かもしれないじゃん。
後になって荷物が届かないとかなんとかっていちゃもんつけれらるかもしれないし、
もし手伝ってあげても記入した後に写メでも取って証拠残しておかないと。」
と言われてたまげた
この人・・青い血が流れとる!!
今はやりの青鬼じゃないのか?!
と顔をまじまじと見そうでした(笑)
夫としてはリスクマネージメントとして、
この世知辛い、
コロナ辛い時代を思ってのことなのかもしれない
けどなんかモヤモヤしました
おばあちゃんのせつない思いや荷物のことも話したけど理解を得られず
そんな気持ちでいたのですが、
そのあと見たネット記事(以下)
『だから仲良しなのか!「長続きカップル」が無意識にやっている日常習慣とは』
・お互いの価値観や相違点を受け入れる
・一人一人の時間を大切に過ごす
・しっかり感謝の言葉を伝える
・お互いの意見を言い合い、ため込まない
・それぞれを尊重しながら末永く一緒にいよう
という内容
一番最初のトピックを読んで
「はーそうですね」
と思った
・お互いの価値観や相違点を受け入れる
『ある程度の期間を一緒に過ごしていると、それぞれの価値観がよくわかってきますよね。
そして中には自分の考えと異なる相違点も出て来るでしょう。そのときその意見を否定してしまうのではなく、お互いの価値観を受け入れる努力をしてみましょう。「そういう考えもあるんだな」「どうにかして理解したいな」と思うことが、相手へ歩み寄るための第一歩です。』
ま、ま、まあね
夫の趣味嗜好というのはこの結婚生活でいやってほどとても理解しています
彼の考え方というのはそういう傾向があるし、そのおかげで助かっていることも多々あるわけです
そう思えばまあわたしと考え方は違うけれど、そういうのもさもありなんと思うわけです
ただ、今回のことはそのおばあちゃんを目の前にして言葉を交わした私からしたら、
ぜったい詐欺とかなんとかってことはないし、単純にほんとうに困っていたわけです
夫ももしおばあちゃんを目の前にしたらやさしく対応したかもしれない
それは当事者にしかわからないことです
(でも夫が言うように場合によっては危険なことが裏に潜んでることもあるケドネ!)
それはもう直面した時の自分の直観で判断するしかない、
自分の直観を信じるしかないと思うのです
なのでこの間のわたしの対応は自分でよかったと確信しましたし、
そう思ってみたら夫の気持ちもわからなくはないしそのことへの拒否反応もそれほどない
近しい相手に理解されなかったとしても、
自分を深く理解できている自分がいるということがわたしを力強くします(自分に一番近いのは自分だしね)
反応はそれぞれ
今となっては(夫の反応)それもいいじゃん、と思えている私はやっぱり自粛期間を経て感じ方が変わって来たなと思うのです
自分が自分の事をちゃんとわかっていれば、
相手も尊重できるというものです
バシャールの言うアセンションゲートを通りぬけるには
「すべてを許していく」
ということがひとつ大事なことなのですが、
それををナチュラルにしていけたようなそんなすがすがしさもあるのです
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